自己判断基準の素
瀬戸内寂聴尼僧のお言葉で「自分の幸せよりも他人の幸せを考える事。そうすれば自分の幸せも自然に達せられます。自分の幸せだけを考えたら、人を傷つけざるを得なくなります。」とあります。
以前、仲の良い友人から「あなたはとてもわがままだ」と言われた事がありました。
そう言われても自分がわがままではないと本当に思っていました。
そして自分より周囲の人たちのほうがわがままで無責任ではないかと…
でも今思えばその考え自体、自分の事を棚に上げている傲慢さだったのです。
寂聴さまの言葉に照らし合わせてみると、友人が言った私のわがままとは、その言動には自分自身の幸せの度合いが大きいという指摘だったのでしょう。
確かに「それはよくない」とか「このようにする」などの若い頃の言動の大半は自分の気持ちを基準にした判断で決断力と勘違いしていた点が多々あったと思います。
ただ若い頃はそれを許してくれた大人や先輩、友人が周りに大勢いたことが私の救いだったと感謝しています。
自分の幸せだけを考える判断とはひとを傷つける判断。
全ての幸せを考えてする判断。
今頃気が付いたの?と言われるかも知れませんが、みんなが幸せになる事を考慮した判断が出来るように判断基準を自分から人へ移すよう心がけます。